ダヴィンチで摘出│古賀病院21 佐賀 G.J

ダヴィンチ(摘出)の体験談 佐賀 G.Jさん

お住まいの地域:佐賀県

治療を受けるまでの経緯は?

癌診断の数年前から糖尿病で福岡県久留米市の「新古賀クリニック」に通っていました。糖尿病自体は軽く、2ヶ月に1回の血液検査と薬の処方だったのですが、2021年に主治医から「PSAが4以上なので」ということで、泌尿器科の受診を勧められました。

泌尿器科ではCT・触診では異常が無く、念のため生検をするために1泊2日で入院をすることになりました。結果は前立腺癌とのこと。グリソンスコアやT分類などの説明はありませんでしたが、「悪性度で言うなら中程度」とのことでした。

その後、同じ病院グループの「古賀病院21」の泌尿器科を受診。何でも、そこの病院の医師が「日本初の前立腺がんの腹腔鏡手術を実施した医師」であるとのことで、全摘出を自信を持って勧められました。
自分自身、長期にわたる治療は避けたいとの思いもあり、また小心者であるため、全て取り除いてスッキリしたいとの思いから全摘出を選択。
10日間の入院・全身麻酔で手術を受けました。

 治療前PSA:4.696
グリソンスコア:不明
陽性率:41.7%(生検12本中陽性5本)
T分類:不明
診断時年齢:52歳
治療年: 2021 年
触診の結果は?:異常無し

治療後にどう感じましたか

治療予定の方は現在の気持ち

手術直後に辛かったのは、麻酔から目覚めた直後の寒気。全身が震え「このまま死ぬの?」と正直思いました。
続いて、背中の麻酔・ドレーン・尿管・左右の腕に点滴で、ICUのベッドの上で身動きが出来ず一睡も出来なかったことが、人生でトップクラスに辛かったです。痒いところがかけない。

退院後の後遺症としては、やはり尿漏れが生じ、尿取りパッドを利用していましたが、3ヶ月ほどでほぼ無くなりました。今ではまれにクシャミをした時に染みる程度です。全身麻酔の際に呼吸用の管を無理やり口に入れるらしく、術後数週間は歯の噛み合わせに不具合が生じました。

私が最も辛かった退院後の変化は、全身に生じた蕁麻疹です。退院2日後位に症状が出て、約半年続きました。「レスタミンコーワ錠」という薬を見つけ6時間おきに服用していました。皆さんの術後の後遺症に蕁麻疹が見当たりませんので、私特有の症状だったのかもしれません。

現在の経過、伝えたいことなど

差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。

現在、2ヶ月に1回、糖尿病検診のついでに泌尿器科で血液検査を受けています。3年経ちましたが、PSAは0.006で安定中です。
一応、年に1回、CTとMRIの検査を受けていますが、こちらも今のところ異常はありません。

男性機能は、手術時に「左右勃起神経の内、片方だけ残す」とのことでした。性欲的には術前と変わらない印象です。元々淡泊でしたが、まれにその気になっても半立ち状態です。しかし、半立ちなりに最後まで行けます。放出感もあります。しかし実際には何も出ないという具合です。
男性機能の維持のために全摘出を躊躇する方がいらっしゃると思いますが、子供を作る予定が100%無いのなら、私は全摘出もありかなと思います。その他、日常生活に不満や不具合は一切無くなりました。

私は「癌」と診断を受けたときはそれはもうショックでしたが、そこからCT・MRI・骨シンチの検査を受け、結果を聞くまでの約10日間が一番不安でした。本気で「死」を覚悟しました。

今現在、罹患前とほぼ同じ生活が復活し、自分が癌であったことすら思い出の一つになろうとしていますが、どこかで「再発」や「転移」を怖がる自分もいて、「人はいつか死ぬ」ということを意識させられる結果に繋がったと思います。

そういう意味では癌になって(決して「良かった」とは言いませんが)、意味があったなと思える今日この頃です。
これから前立腺癌との戦いを迎える多数の方々の一助となれば幸いです。
最後に、こういう貴重な情報をご提供してくださるサイト主様には感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます。

患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?

「はい、この治療を選びます」


佐賀 G.J

佐賀 G.Jさん、インタビューへの回答ありがとうこざいました。もしこの回答内容を変更したい場合は、再度ご記入いただければ、差し替えさせていただきます。
また、あとで私のコメントをここに記入させていただきます。

トリモダリティ│宇治病院 東京 藤井

トリモダリティ療法の体験談 東京 藤井さん

お住まいの地域:東京都

治療を受けるまでの経緯は?

私は東京都内で歯科医院を開業している者です。

私の前立腺がんの話は、2011年の定期検診時に初めてPSAを検査項目に入れてから始まります。最初は2.60でパス、2013年は3.44、その次の年に4.00を越え、内科主治医に詳しい話無く紹介状を渡され新宿JCHOを受診しました。

ここでも事務的にMRIと針生検の予約をとらされたのですが、大変な不安感がありMRI撮影時の帰り際に本能的に針生検予約をキャンセルしてしまいました。ここの泌尿器科医長は赤倉医師でPSA検診推進を唱う基幹病院であり正にベルトコンベアーに乗せられている感が有り有りであったのが理由だと思います。

後日、MRIの結果説明の時に「なぜ、キャンセルするんだ、他の患者もいる中で予定が狂うではないか、大変なことになっても知らないぞ」と歳若い担当医と更に若い研修医とで恫喝され、ここで治療するなら死んだほうがましだとさえ思い病院を後にしました。非合理な行動ですが感情は抑えられないものです。

その後、様々な書籍を読んだのですが、人間弱いもので耳触りの良い、近藤誠先生の理論に影響されてきてしまったようでした。辿り着いたのは東京馬込にある高橋クリニックの高橋医師でした。

エコーと触診で「癌ではないね、少なくとも治療する状態では無いから前立腺肥大薬で対処しましょう」と言われ救われた気持ちでその後数年通院していたのですが、触診するわけでもなくエコーも年に一度するかしないかと言う状況での経過です。

なにより不安だったのは血液検査がないことで、今から思い返せば、専門家に診てもらっているという権威に逃げ込んでいただけの、なんとも愚かな医師と患者であったと言うことです。医療人として非常に恥ずかしい限りです。個人開業医は健康診断の血液検査は義務では無かったこともありますが愚かです。そんなこんなで前立腺癌のことは忘れ2022年まで経過することになったのです。

ただ、自分の事は棚に上げてなのですが、自分の患者さんの為に患者さんの血液データを読みながらアドバイスをする研鑽は進めておりました。

そこで、自分のデータも学習の為に診てみようと久方振りに検診に行ったのが2022、2/2でした。結果を手にしたのが2/22、驚愕の知らせはPSA58.53。不思議だったのは血液検査項目にPSAはオーダーしていなかったこと。・・・測量会館での必須項目なのかもしれませんが、またまた知る事になりなにかしら導きを感じてしまいました。

それからは先ず近隣の泌尿器科を受診し、再度の血液検査でPSA70を超え、直ちに東京女子医大に一連の精密検査を受けに行ったのが3/3でその時のPSAは69.40。

前立腺癌の状況告知を受けたのが4/7で余命宣告を覚悟し診療室に入った時は蒼白だったでしょう。結果は骨転移、明瞭なリンパ節転移はなくステージT3a、グリソンスコア4+3=7で、限局癌で治療対象となりました。早速この日からリュープリンを打たれて当初は重粒子線治療を予定されていました。

しかし、3/3から4/7迄の1ヶ月の検査期間はネット、書籍、YouTube等で手当たり次第、情報収集をし、もし、私に転移が無かった場合は、当時、宇治病院の岡本圭生先生にお願いしょうと決断していましたので、告知が出た当日にネットサイト”じじじぇんじぇんがん”様から岡本先生へのダイレクトメールをし、驚いたことに当日返信をいただき5/11に京都に行くことになりました。
その後、こちらの主宰されているIさんにも電話で相談、アドバイスをいただき本当に感謝しております。

 治療前PSA:69.46
グリソンスコア:4+3=7
陽性率: 50%(生検 10本中陽性 5本)
T分類:T3a
診断時年齢:62 歳
治療年: 2023 年
触診の結果は?:+

治療後にどう感じましたか

治療予定の方は現在の気持ち

トリモダリティ療法を受けましたが事前の他患者さんのドキュメントを見聞きしており、自分でシュミレーション出来たのは全く幸甚で安心して治療に専念するのみでした。本当にありがたく思っています。

ただ現在も治療中も歯科医の仕事は変わらず行なえること感謝に堪えないのですが、やはりホルモン剤の影響が随時表れなかなかの試練だと自らに言い聞かせていますし、岡本先生の診療の度に人生観や死生観、医療の心構え、生き様、理念等を教授いただき、それがとても心の支えになりました。

治療後、一年になりますが低下した筋力を振り絞って頑張る事ができています。
岡本先生は主治医であり、医療の師でもあります。

現在の経過、伝えたいことなど

差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。

これは岡本先生がいつも言われる事ですが、”チャンスは一度きりだ”との一言は染み染みそう思っていて、後悔は一切ありません。思い悩むことがないことは、これはとても大事なことです。
事前の情報収集をすれば、我々が欲しいのは完治であり、それを示すのは非再発率です。それをもって他の治療法と比較すれば迷うことはないでしょう。
一番言いたいことはこのエビデンスをどの医療機関でも提示しなければならない。そうでなければ不誠実の誹りは避けられないでしょう。

ちなみに性機能についてはこの2年は性交はしておりませんが、ここのところ朝立ちはチラホラあります。現在のテスティステロンは上昇しておりますが、PSAは0.016〜0.03位で推移しておりその気になれば可能とおもわれます。

患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?

「はい、この治療を選びます」

治療法選択中:PSA28|豊橋 鈴木

治療前 豊橋 鈴木

お住まいの地域:愛知県

治療を受けるまでの経緯は?

当初、前立腺肥大という診断でしたが、その後尿閉となり他院で診察の結果”癌”でした

とりあえず4月よりホルモン治療です。
自覚症状は、まったくなく健康状態は良好です。

これから勉強して、最善の治療方法は何かを勉強するため
このサイトに連絡させていただきました。

よろしくお願いいたします

 治療前PSA:28
グリソンスコア:?
陽性率: 90%(生検 本中陽性 本)
T分類:3b
診断時年齢: 74歳
治療年: 2024 年
触診の結果は?:悪性癌

治療予定の方は現在の気持ち

まだ 始まったばかりばかりなので コメントはありません。

現在の経過、伝えたいことなど

差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。

勃起とかは ありません。
男性機能の回復、温存治療は希望しておりません。

患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?

「現時点ではなんともいえない」


豊橋鈴木

豊橋鈴木さん、インタビューへの回答ありがとうこざいました。もしこの回答内容を変更したい場合は、再度ご記入いただければ、差し替えさせていただきます。
また、あとで私のコメントをここに記入させていただきます。

小線源療法+外照射|滋賀医大 東京T.I

小線源療法+外照射の体験談 東京T.Iさん

お住まいの地域:東京都

治療を受けるまでの経緯は?


治療を受けるまでの経緯 当時50歳
もともと慢性前立腺炎で2013年から東京のT医大(東京医大)に通っていて、セルニルトンなどを処方されていた。そこころはpsa0.9程度で問題もなし(触診ではややむくみが指摘されていた)。その後定期的にセルニルトンの処方だけを受けていた。

2016年になかなか前立腺炎が改善しないので、あらためてpsaを測定したら2016年6月に3.3、17年4月に5.1と上昇していた。直腸診は所見なし、MRIでは若干怪しい影があるとのこと。4月に生検したところ12箇所中5箇所から前立腺癌が見つかり、グリソンスコアは4+4=8とされた。

東京医大では全摘手術を進められた。ダヴィンチを初期から導入している病院ですし、全摘で高名なドクターもいらっしゃった。また全摘の場合は万一再発しても救済放射線療法を受けられるということであった。しかし詳細検索するうちに、グリソン8以上の場合は、全摘手術では再発率がかなり高いことが分かる。また年齢を考えても尿漏れなどの後遺症は許容しがたいものもあった。

その後、腺友ネット、当サイト(じじ、じぇんじぇんがん)等を拝見。手術療法(ダヴィンチ、開腹手術)放射腺、小線源単独、トリモダリティ、陽子線・重量子線など、様々な治療法があり、選択の余地が多く一時はよくわからなくなった。しかし腺倶楽部の竹武内会長(ひげの父さん)と大阪で面談し滋賀医大をお勧めいただき、本サイトやいくつかの腺友ネットの書き込みも拝見し、当時滋賀医大の岡本先生に治療をお任せしたいと思った。

いろいろ調べると、
「高リスクでは全摘手術では、ダヴィンチなどの先進手術でも5年目で7割程度の再発とのデータもある。5年目で再発していなくても、5年少し過ぎて直ぐ再発する人もいる、など完治率が低い」「陽子線、重量子線は、がん細胞の破壊力は強いが、動きやすい前立腺に合わせるのがやや難しく、高リスクでは癌が被膜浸潤が進行している可能性が高いので、私の症状には合わない印象を受けた」・・ということで私は小線源+外部照射を滋賀医大で受けようと決心した。

その後、東京医大でも快く紹介状を書いて頂いた。そして、岡本先生にメール。有難いことに、すぐ返信があり、不安の中でも救われた気持ちになった。岡本先生、滋賀医大で再度診断をして頂いた。
2017年6月で初診時のPSAは5.1 、MRIはT2C、体積20.5cc、
滋賀医大での再評価はT2c、右3/6、左3/6、GS3+4、PSA6.18

岡本先生の印象はGS4+4とのこと。岡本先生からは小線源単独で97%完治。外部照射併用で100%完治と言われたため、迷わず外部照射併用を選択した。
10月に小線源を行った。その後暫く頭痛が続いたが、それ以外は問題なし。本治療を行ったことで、元々辛かった慢性前立腺炎も解消された。12月には外部照射治療を行った。私は東京在住だったが、滋賀医大に入院して放射線治療を受けた。

 治療前PSA:6.18
 グリソンスコア:8
 陽性率:6/12 %(生検 本中陽性 本)
 T分類:T2CN0M0
 診断時年齢:50 歳
 治療年: 2017年
 触診の結果は:ややむくんでいる

治療後にどう感じましたか

治療予定の方は現在の気持ち

この5年間がん患者であることを基本的に忘れることができていることは、快く受け入れてくれた岡本先生はじめ、治療に携わっていただいた先生方&スタッフの皆様のおかげです。

現在の経過、伝えたいことなど

差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。

その後、psaは多少のバウンスを経由しながらも順調に下がっており、23年春段階で0.1を切る水準で推移している。晩期障害も基本的にありません。

患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?

「はい、この治療を選びます」


東京T.I

東京T.Iさん、投稿ありがとうございます。掲載がたいへん遅くなってしまいすいませんでした。もしこの回答内容を変更したい場合は、再度ご記入いただければ、差し替えさせていただきます。
また、あとで私のコメントをここに記入させていただきます。

HDRトリモダリティ|北里大 横浜 S.N

カテゴリー: HDRトリモダリティ

HDRトリモダリティの体験談 横浜 S.Nさん

お住まいの地域:神奈川県

治療を受けるまでの経緯は?

38歳の時に父を前立腺がんで亡くしてから、毎年の職場健診にオプションでPSA検査を付加してきました。10年ほど2前後の数値だったのが、40代後半の数年間は徐々に値が高くなり、昨年6月の時点で5.4の高値となって要精密検査の通知を受けました。
その後、地元の病院で検査を実施し、触診・エコー・MRIも問題なかったものの、念のため実施した針生検では、10本中1本が陽性となりました。

がん告知を受けたときは、まさかとの思いで頭が真っ白になりました。更に、グリソンスコア8(高リスク)との説明に衝撃が走り、先生から「父親の件もあるから良く分かっていると思うけど…」との前置きがあったのは覚えていますが、他の説明はあまり記憶がありません。
最後に「どこの病院へ紹介状を書いてほしいか?」との質問に対し、家族と週末相談したいので週明けまで待ってほしい旨を告げ退室。帰りの運転中、血の気が引く気がして危険を感じたのを鮮明に覚えています。

翌日は、妻と一緒に病院と治療方法の検討に費やしました。前立腺肥大や前立腺炎を想定し、関連書籍を購入して読んでいたこともあり、万が一の時は手術ではなく放射線治療が良い、放射線も外側からのより内側から、内側のも2種類あってHDRが良い、神奈川県だと北里大学病院のみが該当する…等々の知識をもとに、このサイトや腺友ネット等の情報もむさぼるように読み込み、北里大学病院でHDRトリモダリティ治療を受けたいとの考えをまとめました。

実際には、やはりLDRや重粒子線治療の方が良いのでは?と、しばらくの期間悩みつづけていました…

告知後3日目の朝(紹介状を書いてもらう日)、体重が3㎏落ちており、ろくに食事をしていないことに気が付き、積極的に高カロリーのものを食べるようにしました。また、ほとんど眠ることができていないこともあり、北里への紹介状と同時に、睡眠導入剤を処方してもらいました。(翌日が仕事でない日は無理に寝なくても良いと考えるまでの2週間ほど服用を続けました)

告知後に一番しんどかったのは、骨シンチとCTの結果で転移がないとわかるまでの1カ月弱の期間でした。この間は心身ともに本当に疲弊しきった感じです。
私の場合は、告知を受ける丁度1週間ほど前から激しい腰痛に見舞われたこともあり、どうしても悪い方ばかり考えてしまいました。更には自律神経の問題?なのか、どういうわけだか告知後から前立腺のあたりに痛みまで感じてしまいました…(笑)

転移についての結果がでる当日、診療室前で待つ約1時間は、過呼吸になるのではと思う位に間違いなく人生最大の緊張でした。ずっと隣にいてくれる妻に本当に申し訳ないと思いましたが、どうすることもできませんでした… 本当にネガティブで弱い自分を思い知りました。
一方、転移がないと分かった瞬間から「気力」が戻ってくるのが実感でき、「これで前向きにがん治療と向き合える」と感じました。しかし人間というものは… 転移さえしていなければと神頼みして、それが叶ったとたん、今度は更に色々な欲(できるだけ副作用がない方が良い等々)がわいてくる自分にも気づきました…

その後、最終的に手術か放射線治療かを1週間後までに選択するようにと告げられ(地元の病院も北里もこの段階では手術を推奨していました)1週間後、正式にHDRトリモダリティ治療を希望し、その日から施術前のホルモン療法(CAB)が始まりました。

ここまでの約1カ月間で10冊以上の関連本をむさぼり読みましたが、激しく落ち込んだ気持ちを勇気づけてもらい、「がん=死ではない」「病院と治療法は自分で決定する」ことを再確認させてくれた3冊を、どなたかのお役に立てればとの思いで紹介します。

・精神腫瘍科医 保坂隆先生の「がんになったらまず読む本」
・ジャーナリスト 金田信一郎さんの「ドキュメントがん治療選択」
・放射線治療専門医 武田篤也先生の「世界一やさしいがん治療」

 治療前PSA:7.02
 グリソンスコア:4+4=8
 陽性率:10%(生検10 本中陽性1 本)
 T分類:T2bM0N0
 診断時年齢:51歳
 治療年: 2022 年
 触診の結果は?:無

治療後にどう感じましたか

治療予定の方は現在の気持ち

ホルモン療法開始後は毎月順調にPSAが下がっていき、7カ月目に目標としていた0.009(測定限界値)に達しました。「50代では男性ホルモンが薬の耐性に強くここまで順調に下がらない方もいるので、あなたの場合は薬の感受性が良く、大変、順調にがんを抑えている。」と主治医の先生が話をしてくれたときは、心より嬉しくなりました。

しかし、放射線治療までの期間も様々なこころの揺れはありました。
TVでがん闘病中の有名人死亡報道等が流れるとチャンネルを変更したり、街中で葬儀を見かけた際に自分と重ね合わせてしまう等の不安定な気持ちは継続していました。
このころichiさんにメールで相談し、「高リスクといっても中リスクより」「グリソンスコア8という悪性度自体は、占有率22%(1.5㎜/6.7㎜)と合わせて考えると、そうたいしたことはない、のです。つまり、根治出来る可能性は充分というより、根治して当然の病期であると思っていい」と言って頂き、大変心強く感じました。
また、三谷幸喜さんの書籍「ぼくもたまにはがんになる」を読み、「がん」を「ぽん」と呼ぶ話に大爆笑すると同時に、そもそも「死をみじんも想定しないスタンス」についての考え方から、心の持ちようについて新たな認識を得ました。

そして、8カ月間の術前ホルモン療法を終え、本年5月末にいよいよ放射線治療「HDR(11Gy×2回)とIMRT外照射30Gy(10回)」が始まりました。入院に関して最初のピンチはHDR治療初日の夜でした、妻が一晩付き合ってくれましたが、寝返りをうてない苦しさは想像を超えるものでした。その後は、発熱、背中の麻酔針による痛み、右足の麻痺、更には導尿管の痛みと、一つクリアする毎に苦痛が次々と現れました…(笑)その後は、寝たきり状態丸2日後に感じた身体の重さ、自分で歩けることの喜び、初めての個室、シャワーの有難さも実感しました。

外照射のための通院2週間に関して最初の困難は、HDR後の極度の頻尿でした。初日、通院途中の車中で我慢出来ずにコップに排尿をする状況となり、その後は途中のコンビニ等で対応をしながら過ごしましたが、最初の1週間は渋滞も含めて大変な思いをすることになりました。2週目になり、排尿障害が1週目より若干落ち着いたのと、自宅をでる時間を調整したことにより状況が改善しました。その他は、照射前の「便カラ尿満タン状態」の確保でした。
現在、5カ月が経過しましたが、今のところ急性期障害は問題なさそうで安心しています。

現在の経過、伝えたいことなど

差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。

現在の最大関心事は、継続中の術後ホルモン療法(毎月ゾラテックス注射)についてです。ここに来て様々な不調(副作用)を強く感じるとともに、この先の不安も募り、術前8カ月を含め既に1年以上経過したホルモン療法を、このまま更に1年半以上継続するのが良いのか悩んでいます。

不調に関して最初に生じたのは手指のこわばりでした、3カ月目くらいからありましたが、ここに来て強くなりました。歩行時の下半身筋肉痛や両ひざの痛みもここ1カ月くらいで非常に強くでるようになりました(特に起床時や座位から立ち上がった後)。食事と運動に気を付けていますが、体重が5㎏増え明らかに腹周りの脂肪が増えました。なにより男性機能もここ数カ月で完全に自信喪失状態です。

不安に関しては、そもそもホルモン療法期間について信頼性の高いデータが少ないため、診療ガイドライン等に最良の期間について明記されていなく、病院ごとに方針を設定している現状についてです。また、欧米では転移のない限局性前立腺がん患者には根治的ではないことと、長期使用の副作用を理由としてホルモン療法は標準治療として推奨されていないと聞きました。更に、長期ホルモン療法は認知症のリスクが高まるとの情報や、早い時期からのホルモン治療は臨床的進行が始まる前に去勢抵抗性前立腺がん細胞を生成する可能性があるとの情報も見ました。

これらのことから、次回の受診時にホルモン療法の期間について主治医の先生に相談をしてみようと思っています。術前ホルモン療法で縮小及び放射線感受性があがった状態に、HDR&IMRT外照射で局所と周辺領域は完全にカバーしているはずなので、微小転移をコントロールする目的の術後ホルモン療法期間を少し短縮しても、副作用とのバランスでは正しい選択だと信じたいです。

何だか、自身のこころの弱い部分の振り返りが多くなってしまいましたが、私は本サイトの体験談が本当に参考になりました。また、ichiさんには個別に相談に乗って頂き(現在も)大変助かりました。今度は、私の経験がどなたかの参考になればとの思いで記入させて頂きました。

患者さんへの質問:
もし、時を遡れたとしたら、同じ治療を選びますか?

「たぶん、この治療を選びます」


横浜 S.N

横浜 S.Nさん、インタビューへの回答ありがとうこざいました。
こちらでは、お送りいただいた投稿文に目を通し、単純なミスの修正や、よりわかりやすい表現に修正することがあります。このため公開迄しばらくお時間をいただいていますが、うっかりこの文書を公開するのを忘れてしまいました。たいへん申し訳ありません。
 
S.Nさんは、遺伝的に前立腺癌のリスクが高かったので、そのリスクを回避するために、
きちんとPSA検査を受け、疑わしいとされた段階で、すみやかに生検を受けているわけです。それなのに、なんで「高リスクの癌」と診断されてしまうのか、納得ができないですよね、その点は私と同じです。
 
一般には高齢者の癌とされる前立腺癌ですから、その年齢分布から離れた若い時期でのPSA上昇は特に注意となのだと思います。正常な方のPSA値2、これを超えたあたりから、注意深くPSAの推移を観察する必要があるように思います。