小線源+外照射│東京医療センター 渕浪

前立腺がん治療を経験された方の体験談 渕浪敏明 さん

 初めまして、千葉県君津市在住の渕浪敏明と申します。1950年生まれ、現在67歳です。2015年末(12月28日)に初期の前立腺ガンが発見され、現在、東京の東京医療センターに通って、放射線治療後の経過観察中です。

 実際の治療は2016年5月半ばに3泊4日の入院で、小線源内部照射を、7月、8月の5週間入院して、放射線外部照射の治療を行いました。
詳しい経過は、おってゆっくり説明させていただきますが、まずは、簡単に自己紹介をさせてください。

 私は岡山県備前市に生まれ、高校は岡山市、大学は京都市で過ごし、就職は新日鉄で、主に工場の制御用コンピュータの開発に従事していました。転勤も何回かあり、君津から北九州、君津、山口県光、君津と移動し、ある事情で49才のときに、新日鉄を中途退社しました。以後は個人事業主として、個別のソフト開発の仕事をしてきました。

 60才頃になり、林住期(定年退職後の人生)をいかに生きるかを、模索しておりました。趣味は読書、将棋、プロ野球のホークス応援といったところでしょうか。最初、自分の林住期プロジェクトとして「将棋ファン拡大プロジェクト」に挑戦しましたが、どうもうまくいかず、次に「読書ファン拡大プロジェクト」にも挑戦しましたが、これもうまくいかない。そういったところで、私が前立腺ガンになったのです。

 すぐに前立腺ガンの話に入る前に、それまでの私の主要な病歴をご紹介したいと思います。11年前に急性膵炎で緊急入院し、一時命も危ないときがありました。最初の2週間ぐらいは、非常に痛みが強く痛み止め注射もほとんど利かず、苦しかったです。原因はハッキリしませんが、私の膵臓には膵石が多くあり、正式病名は「慢性膵炎の急性増悪」というものです。
 7年前には、胆のうの石と膵臓の石が飛び出て、詰まり、腹痛を起こして合計6回も入院しました。3回が胆のう、1回が膵臓、5回目は胆のう除去手術(開腹)、6回目は外部衝撃波で膵臓の石を砕いて除去しようとしましたが、私の石(意志???)が固くて、先生がアキラメ、先生からは「渕浪さん、膵臓の石はそーっと墓場まで持って行ってください」と言われております。この6回の入院中の主治医が君津中央病院の藤本先生で、非常に信頼でき、尊敬もしております。退院前日には、今回の処置の経過を詳しく説明してくださり、私からの質問にも丁寧にお答えくださいます。私は、この先生に私の消化器をあずけようと思いました。

がんが見つかったきっかけは?、また、どんな治療を勧められましたか?

 では、本題の前立腺ガンのお話にいきましょう。
2006年君津市のPSA検査で2.77となり、君津中央病院泌尿器科で検査し、エコーで問題なしと判断される。2010年、PSA=6.299、 2011年、PSA=7.201、9.9 となったが、医師は前立腺肥大があるのでこの程度は問題ないだろう、定期的にPSA検査し、10を大きく超えたときに受診しなさい、と言われた。<これは、今から考えると問題で、ここで少なくとも針生検すべきだったと思われる>
 以後、消化器で半年毎に血液検査でPSAを測定していたが、2014年にPSA=13.45となり、藤本先生から泌尿器へ行くよう指示される。自分の怠慢で泌尿器にいかず、2015年にPSA=18.4となり、あわてて泌尿器へ。針生検を勧められるが、どの病院にするか迷っていると3ヵ月後にPSA再検査して決めることになった。またPSA=19.3なので、千葉大学病院で針生検することにした。

 千葉大学病院では、触診とエコー検査、MRI検査を実施し、PSA=15.54。2015年12月11日から1泊2日で針生検。12月28日に結果を聞きにいくと、8箇所中1箇所でガン発見、グリソンスコアは3+3=6、RIとCTで外部転移は無し。

 これ以降は、約2週間で治療方針を決めるまでの、猛勉強をドキュメンタリー風に記述する。

ガン告知されたとき、私の場合は、ショックを感じる暇もないほど、スイッチが入りましたね。これは、一大事だ。ここで選択を誤ると、命も危ない。(息子?の命も危ない(笑))

年末の12月28日にガンを告知され、1月14日までに、方針を決めなければいけませんでした。もし、主治医がヤブで、僕が勉強不十分だったら、主治医のイイナリになり、一生後悔をするかもしれない。2週間、猛勉強しましたね。こんなに必死になったのは、生まれて初めてです。インターネットで調べまくり、本も読みまくり。

それで、僕のような初期の前立腺内にとどまっている前立腺ガンには、前立腺内に小さな放射線を埋め込む小線源内部照射が一番いいとわかりました。これは、ヨウ素を埋め込むのですが、放射線の到達距離が5mmまでと、外部に弊害を与えず、かつ前立腺内の局所ガンは壊滅させる、優れものなんです。
ただ、この治療を正確確実に出来る病院は、全国でも数少なく、関東では、東京医療センターと調べつくしました。

千葉大学病院に通っていたのですが、2016年1月14日いよいよ治療方針を決める日です。先生から一通り説明をうけたあと、すぐに、小線源内部照射がいいのですが、 と言うと、先生は、では、うちには小線源内部照射のA先生がいるから、来週診察してもらいますかね。
すかさず、こちらの病院の小線源内部照射の実績はどの位ですか?と聞きました(非常に少ないと、事前に調べつくしていたので)。先生は(予想通り、)非常に少ないです、と答えられました。う~ん、という顔をすると、 治療実績が多い病院となると、都心までいかないとないですが、それには、全然かまいません、と答えると、どこかご希望の病院はありますか?と聞かれたので、すかさず東京医療センターがいいです。そこまでお調べなら、すぐに紹介状を書きましょう、来週取りにきてください。

以上が、主な顛末です。何事も準備が大事ですよね、なにせ自分の命がかかっているのですから。
自分の命は自分で守る、、、これが鉄則です。大学受験時代の10倍も必死で勉強しました。
今まで、だらだらと生きてきたので、久しぶりに大学受験時代を思い出しました。また、まだまだやればできるじゃない、と自信も深めました。

このようにスムーズに短期間で方針が決定できたのも、腺友倶楽部の諸先輩の皆さんの有益なアドバイスがあったからだということは、いくら強調してもし過ぎるものではありません。

東京医療センターの斉藤史郎先生の診察を受け、内部照射+外部照射となる。2016年2月3日には静脈性腎盂造影(IVP)検査と前立腺超音波検査を受けました。

今回、自分が前立腺ガンになってみて一番感じたっことは、私の場合、タマタマ早期に腺友倶楽部を発見し、相談できたからいいようなものの、パソコンが使えないなど情報格差のあるシニア層の人達にとって、有益な情報の入手が簡単ではないように思う。そういう場合、医師のいいなりになって、不本意な選択をしたと、後で後悔することもあるのではないか? そのような人達をこの素晴らしい腺友倶楽部に道案内するような仕組みがうまく、できないものか。前立腺ガンだけでなく、他の病気でも、同じことである。医療分野に限定しなくても、いろんなニーズとシーズを結びつける道案内人(ブリッジ役)の必要性が、これからの情報時代、より大きくなってきたと感じる今日この頃である。このあたりの貢献に一役かうような林住期のプロジェクトを、今模索中です。

 PSA:15.54
 グリソンスコア:3+3=6
 陽性率: 12.5%(生検 8本中陽性 1本)
 T分類:
 診断時年齢: 65歳
 触 診: 異常はありましたか?特になし

あなたは、どの治療を選びましたか?

東京医療センターの斉藤史郎先生。
小線源+IMRT。
患者情報のアドバイスと、インターネットと本の勉強より決定。

治療後の経過、感想など自由にお書きください

PSAは徐々に下がってきている。
2015/11/16 15.54
2016/1/27 29
2016/3/30 3.16
2016/8/31 3.31
2016/11/2 4.21
2017/4/19 1.83
2017/7/12 1.69

差し支えなければ、男性機能はどうなりましたか?、教えてください。

男性機能は、射精が全くできなくなった。快感が途中で中断して、不満足。


渕浪敏明

インタビューへの回答 ありがとうございます
PSAが上昇した時、どのくらいの値で生検を受けるのを勧められるかは、担当医によって随分違いますね、渕浪さんの場合は結果的にPSA18.4まで待つことになってしまいました。それでも生検時のPSAは15.54、陽性コア数 8本中 1本、グリソンスコア6ですから、初期で見つかって幸いでした。
癌と言われた時、医師の言葉を絶対だと思わずに、自分自身でも治療法を探すことが肝心だと思いますが、それがなかなかに難しいですね。
渕浪さんは、癌だけでなく、さまざまなことにアクティブに取り組まれています。フェイスブックでは公開グループ「雑談未来カフェ」の管理人をされているとのことです。

小線源+外照射│東京医療センター 渕浪」への5件のフィードバック

  1. 渕浪さんの体験記を読ませていただきました。私もほぼ同じ状態で今後の方針を迷っています。メールにてご相談できれば幸いです。こちらの状態は以下です。1950年生まれ。2018年1月、
    東京医療センターにて生検 47本中2本に3+3=6の癌あります。psaは11です。担当医は斉藤先生です。このまま監視療法にするか小線源にするか迷っています。医師は、外照射併用を提案しています。

  2. 私と似た状態ですね。先生と同じように、外部照射併用をお勧めします。psa も高いので。

  3. 鈴木さん、2回目以降の生検でしょうか?、47本もの生検はたいへんでしたね。
    結果 3+3=6 が2本ですから、普通に考えれば低リスクなわけですが、その割にはPSAが11と高いのが不安要素と先生はお考えなんでしょう。
    – – –
    東京医療センターの小線源の線量をネット上にある記事から調べてみました。
    2015年の記事 齋藤史郎先生らによる
    放射線治療 Brachytherapy(小線源療法) によれば(212ページ右下)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsejje/28/2/28_207/_pdf

    東京医療センターのシード治療では
    シード単独治療の場合は処方線量を160Gy
    外照射併用ではシード治療の処方線量を110Gy それに加え外照射45Gyを照射している。
    これは前立腺組織の感受性に関する仮説をもとに計算すると、いずれもBED200Gyを超えている、これはIMRT等のEBRTでの108Gyに相当し、到底実施できない線量である。このようにシード治療では高線量の照射が可能であり、これが高リスク症例においても良好な治療成績が得られる要因と考えられる。としています。
    – – –
    しかし、こちらの資料では、
    シード単独160Gyが BED170Gy
    外照射併用では、シード110Gy+外照射45Gyが BED220Gy
    と、先の記事とはシード単独160GyのBEDが違っているものの

    シード単独160Gyでは、渕浪さん、鈴木さんの症状では根治に不安が残るということなのなんだろうと思います。しかしPSAは少し高いものの、グリソンスコアは6と低リスク相当です。このような患者さんに単独が適用できないとなると、単独の適用はかなり限られた方だけになってしまいます。(グリソンスコアは6、PSA1桁の低リスクは、アクティブサーベイランスにすべき、というのが最近の傾向です)

    東京医療センターは小線源治療では最も症例数の多い病院、しかも齋藤先生も有名な先生ですが、この状況を見ると併用療法が中心ということなんでしょう。

  4. 現在68歳になります。私は2011年に埼玉病院で小線源の治療を受けました。前年1月にPSA値が3.9だったのが、9月にたまたま別に受けた健診で5.0に上昇していたので生検を受けたところ、12本の内1本がヒットしました。(3+4=7)。40代の時に尿管結石でお世話になった泌尿器の病院でしたが、そこの主治医から埼玉病院の門間先生(元、東京医療センターの斉藤先生のチームで日本で最初の小線源治療をはじめられた方です)を紹介されました。埼玉病院の判定ではグリソンスコアは6なので、ブラキ単独でいけますよ、との判断で、リューブリンで3か月間容積縮小の上、2011年7月にブラキ単独での治療を受けました。2年後に1回PSA値が8まで上がりましたが(典型的なリバウンズ)、その後は順調にPSA値は下がり続け、現在に至っています。(今年7月の検診で0.29.まだもう少し下がるでしょう、とのこと。PSA値の下がり方は人によって違うのかもしれません)。ブラキを選択した理由は今ではあまりはっきり覚えていないのですが、ブラキに決める前3か月間、情報集めに夢中だったことだけは覚えています。
    最初に受信したときの主治医の先生のアドバイスが大きかったのかもしれません(ご本人は手術メインの先生でしたが)。治療の後遺症は、現在では切迫尿の症状(ほぼ2時間たつと尿意の切迫感を覚えてトイレにかけこみます。これは治療の後遺症というより加齢の影響が出ているのかもしれません)だけです。経過観察10年とのことで、あと3年、年に1回の検診の時だけ多少緊張しますが、残りの364日は癌のことは100%頭から離れた生活を送っています。

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